浅はかさ
頭だけの人。
10月に母が誤嚥性肺炎になり、まるまる1ヶ月入院していました。私の母は66歳で認知症を発症し、今グループホームで生活しています。大脳皮質基底核変性症という難病で特定疾患です。
母が当初、認知症の疑いがあると分かったときは、なんで母が?!と信じられませんでしたし、気もおかしくなりそうでした。そしてその病の行く末は「人格崩壊をきたす」とネットで書いてあるのを見て、夜中に飼い犬と川縁を泣いて泣いて何時間も歩いたこともありました。
あれから8年。病状はゆっくり進行し、排泄も意志の疎通もままならぬ状態になりました。夏頃から食事や水を摂りたがらなくなっていて、体力的にみるみる落ち始めました。そして今回肺炎で初めて入院。まったく食事を摂ろうとしなくなったので、ついに胃ろうを造設。しかも今までは車いすだったのが、入院生活は常時ベッドなので、一気に寝たきり老人になってしまいました。
胃ろうについて、新聞やテレビを見ていて、私はするべきじゃない、と信じていました。口から摂れないということは、生物としての機能はもうおしまいということだから、それに反するような行為はまちがっている!と思っていたのです。
ところが…、いざ母がそのような状態に陥ると、「生きててほしい」この一点に気持ちはつきました。
「まだ70代だから逝くのには早い」から、「母は長生きしたい言ってたから」と、持論のいい訳をする自分がいましたが、そんなことより何より、私はただただ母に生きていてほしかったのです。
なので、医師から胃ろうの話が持ち上がると即座に「ぜひお願いします」と頭を下げていました。
今までなんと、頭だけで判断し、言葉にしていたのでしょう…、ものすごく恥じました。当事者の気持ちをまったく理解してない自分に気づき、かつ情けなく、かつそんないい加減なことを言いい放ち、誰かを傷つけていたかもしれないと思いました。
頭で知っていることと、経験で知っていることはまったく違う、人の経験から出た言葉はどんな言葉も真摯に受け止めよう、と今さらながら思い直す秋でした。