クロ明菜とシロ聖子

2015年、あけましておめでとうございます。

皆さま新年はいかにお過ごしだったでしょうか?
私はいつものように両親にあいさつに行ったり、友人と食事したり温かな幕開けとなりました。
年々、この平穏な新年の当たり前にできる行事が、皆が心身健康だからと心からありがたいと思うようになってきました。

2015紅白歌合戦

さて、毎年私は、年末の「紅白歌合戦」を新年あけてから友人たちと観る会というか集まりを催していています。
もう始めてから、かれこれ8年くらいは経つでしょうか?
わいわいと、これが楽しくてやめられないのです。

で、今年の紅白ですが、私的にはエクセレント!ものすごくよかった。
後半組の熱唱が画面からびしびし伝わり、あ〜感動。

こんなすっごいゴージャスなイベントを無料で観れるなんて、日本はいい国だぁと今さらながら感謝。なにより平和だから。平和ありがとう!
紅白歌合戦は世界配信もされているのだから、日本が誇る文化遺産として登録してもどう?

で、今回の紅白で、友人の一言で「あっ!」と気づくことがあったのです。

それは中森明菜と松田聖子。
私はよく知らなかったのですが、二人はライバルのようなものらしいと。

で、その画面構成が、
暗いスタジオ内のほっそりしたどちらかと言うと退廃的ムード漂う明菜に、
キラキラお粉を顔いっぱいに振りかけた真珠肌に真っ白なドレス、白階段の前の聖子。

黒と白

これって、二人のなにかを物語っているように感じたのですね。

今から書くのは、決して明菜ちゃんを非難とか嫌いとかいうわけではないんですよ。
私は彼女たち個人を何にも知らないので、
画面からにじむ雰囲気や声の感じ、目の力、姿勢、話し方から勝手に想像した私の解釈です。
まったくワタシ的な二人の画面から感じたイメージなのです。

もし仮に同じつらい出来事が二人に起きたとして…、
明菜ちゃんはその出来事をダメージとして深刻に受け取ったりネガティブに解釈して、ひきこもってしまうイメージ。
かたや一方の聖子ちゃんは、明菜ちゃんのようにやっぱりつらくてへこむんだけど、でもそこから決意して前向きに乗り越えようと努力したり、その努力でさらに一歩進んだり、むしろダメージや傷をパワーに変えてしまう力みたいな…そんな空気がそれぞれにあるように勝手に感じたのです。

それって、経験した出来事を自分や他人への責めとして終わらせるか、それともチャレンジとして捉えるのかの違いかなと。
自分が体験したことの解釈で次の一歩が変わると私は解釈したのです。

で、これを後ろ向きに捉えるのをクロ明菜、前向きに関わっていくのをシロ聖子と名付けたのです。

友人とはそのことを話し合えて、いつもの紅白歌合戦がただの鑑賞会でなく、今の自分はクロ明菜?シロ聖子?と問いかけの言葉をもらった新年でした。

あっ!ほんとに明菜ちゃんには恨みなどは一切ありませんよ。
明菜ちゃんもシロ明菜でむっちゃ前向きの時ももちろんあるだろうし、だから紅白にも出たんだし。CDも出るとの噂。
そして聖子ちゃんにもクロ聖子になって、こもって酒飲んで、ぶっ倒れてる時があるかもしれないし。

当然ワタシにも後ろ向きと前向きの両方あるし。
ただ、自分が今どういう態度を選んでいるか、例えばネガティブかポジティブかとか、目標を持っているか見失っているかとか…を自覚しておくのはとっても大事と思ったのです。
なぜか、
起こった結果に対して「納得」「責任」を持てるから。
たくさん食べ過ぎて太っても、もしチョコレートいっぱい食べて、にきびが出来ても「そうやわなぁ」と引き受けれるみたいなものかな。
そうすると、次に活かせると思うのです。

新年からちょっと飛ばしてしまった。
長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございます。

今年も、健康な1年を過ごせることをお祈りしています。

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